おちょこブログ

おちょこの裏ほどの器から始まったストーリー (旧タイトル:へなちょこブログ)

フリーター、家を買う。かどうかで悩む。 

2017.04.23

僕らは大なり小なり様々な決断を下しながら日々を過ごしているけれど、Cが無い状況で、AかBかで悩んでいる時間には、全くもって意味が無い。

それはそれは残念なことに。




あんなに悩んで決めたことだから…と誰もいうが、そう言っている時点で若干後悔していることに気付いているはずで、悩むことで「後悔するリスク」を減らすことはできない。



むしろ、悩む=時間を消費する という点において、軌道修正するための時間が短縮される(人生は有限だからね)わけで、悩めば悩むほど後悔するリスクは高まると言っていい。




議論が過熱してきたところで。




その最たるものが住宅の購入である。


つまり、「買わない」=Cという選択肢が結局のところ無い状況で、AかBかで悩むことは、その時間、さらに毎月の家賃という貴重なリソースを膨大に浪費していることになる。


それは、人生最大の後悔に繋がりかねない。




僕は不動産会社の回しもんでも流行りの森友学園でもないが、不動産の取得ほど「悩むリスク」がある買い物もない。





それと。

年末になると、「今年は人生の転機だった」的な投稿がSNSを賑わすが、皆さんがスルーしているのが良い証拠で、人生を左右する大いなる決断は、他人にとっては取るに足らない「どこにでもある選択」であるケースがほとんどだ。


進学、就職、転職、結婚…。





クラピカの鎖に捕まって、万事休すであるはずのクロロが言うでしょう?

「オレにとってこの状態は 昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏なものだ」 と。




というわけで、僕が家を買うか買わないかなんて、今あなたがこの記事にイイネ!をするかしないかで悩んでいることと同じくらい、取るに足らないのである。



取るに足らないのであるからして、さっさと決めてしまえばよいのである。





胃に穴が開くほど悩んだ結果を、僕は知っている。



そう、胃に、穴は開かない。







ところで、僕が後悔することが確定してしまいました。


悩みすぎて。






おわり
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ガジュマルの形をどう思うか 

2017.01.21





僕も三十なので?、植物の一つや二つは愛でたい。




出窓に、これ見よがしにガジュマルを持ってきた。



その実に卑猥な、じゃなかった、いびつな形が魅力で、最近は駅ナカの花屋でも売ってたりする。


まったくそんな公共の場でこんな…。






植物鑑賞は、その多種多様性ゆえに、この世の全てが映し鏡であることを改めて実感させる。




どういうことか。



とても分かりやすく説明するならば、ガジュマル自体が卑猥なのではなく、ガジュマルを観て変な想像をする個人がいるだけってこと。




実際、ガジュマルはその形が「可愛い」という理由で女性からも絶大な支持を得ている。(※僕も可愛いと思って買ってます。念のため。)





多部未華子が「最近可愛くなった」わけではなく、なんか最近多部ちゃん可愛くなったなぁ…と思う僕たちがいるだけ。





でなければ、クラスで一番かわいい子を諦めることなど、到底できない。




どういうことか。




極端な話、クラスで一番かわいいと言われてる子をゲットできるのは、僕の経験上、運動部の学年が上のキャプテンくらいなものなので、僕らは憧れで留めるか、他の女の子に目を向ける他ない。



そして実際にそれを繰り返してこれたからこそ、いま僕はここでノンストレスでこんなブログを書いている。




つまり、いわゆるクラスで一番かわいい子は、一番かわいいわけではなく、ある個人、もしくは複数人から、一番かわいいと言われているだけだ。



あくまでも人それぞれの目にどう映るかが全てなのである。




相田みつを大先生も言っているではないか。


「美しいものを 美しいと思える あなたの心が美しい」と。






つまり今回でいえば、ガジュマルという鏡を通して、それを「卑猥だ」と思う自分を見ているのである。



だから、映し鏡。




これは基本ポジティブな話なので書き添えておくと、全てを映し鏡だと思えば、多少のことは乗り越えられる。



見方を変えれば良いのだから。




「他人は自分の映し鏡」などとよく言われるが、言い得て妙であり、素晴らしい格言だと僕は思う。





思うけど、今回伝えたいのはそんな胡散臭い心理学の話ではなくて、ガジュマルって超可愛くない?ってことで。






上の写真の右のは、アロエフラミンゴという多肉植物で、店頭で鉢に刺さった小さなPOPには、こんな説明があった。


「葉の先端の赤がセクシーですね!!」





いやだから決してそういう趣味では…。






おわり

子供の根回し 

2016.10.23





僕の家の近所には子供が多く、とても昭和な雰囲気が漂っている。



学校が休みともなれば、彼らはその持て余した時間とエネルギーを使って、僕の家のウッドデッキでダンスの練習やお絵描きやシャボン玉に勤しむ。



それも、ご丁寧に靴を脱いで。



もともとは、海や山から帰ってきたときに道具を乾かす場所として作ったデッキだけれど、濡れたものを置くなど以ての外、僕はもはや土足禁止を宣告されている。




まぁこないだシャボン玉の原液を盛大にこぼしてたのを見逃さなかったけどね。バレてないとでも思ったか。



が、近所のオジさん風情が親の面して諭してもしょうがないので、常日頃から好きにしてくれと言っている。



そして思うに、最近の?キッズ達は頭が良い。


無論、学力の話ではなく。


他人の家の庭で遊べば、僕というよりもそれぞれの親にこっぴどく叱られることをよく理解している。



そのため、僕に確認を取るのはもちろん、なるべく親のいるところに僕を同席させようとする。



僕がOKを出したことを親に自分で伝えても、「あらホント?よっしゃ好きに使っちまえ!終いには火つけたれ!」とはならないことをよく分かっているからだ。



そしてあくまでもウッドデッキの使用権は僕にある。



親ほど重要ではないにしろ、彼らのお気に入りの遊び場を存続させることにおいて、僕がキーマンであることは間違いない。



だから彼らは、僕にしつこく「かまって攻撃」をすることもない。



僕に嫌われてNGを食らったら元も子もないからね。



それとなく様子を伺い、機を見て声を掛け、確認を取ってくる。



ねえここでお絵描きしてもいい?と。


そんな無垢すぎる依頼を断れるほど僕は教育熱心ではないので、思わず気を許す。



そして僕が油断していると見るや、「土足禁止にするね!」と別の稟議もぶつけてくる。



どうしても通したい案件について、上司に確認を取る部下さながらだ。



親の監視網に常に晒されながら、大したもんである。



裁量が少ない子供だからこそ、絶望的なまでの管理下に身を置くからこそ、事を上手く運ぶための根回しやタイミングがいかに重要であるかを、身に沁みて分かっている。



そしてその方法も、心得ている。



少子化って何。



この国の未来は明るい。




おわり

台風と波乗りと将棋 

2016.09.04




すっかり湘南に移り住んだ脱サラIターンブログみたいになってきたけれど、僕は畑も陶芸もカフェもやってません。




8月が終わって、サザンビーチの海の家も撤収がスタートしました。



海の家があるのは夏の2ヶ月だけで9月に入ると解体されてビーチには何も無くなって来年また建て直すという海の家あるあるに心底感銘を受けていた甥っ子の無垢さがまぶしかった夏も終わり。



ようやく、来夏まで続く静かで広い海が戻ってきました。




なんちゃって、台風シーズン到来で海は毎日のようにウネウネしている。


呼応して、近隣のサーファーも海をウロウロしている。




台風が来て喜ぶのはサーファーくらいだとか、これだけの被害をもたらしているのに不謹慎だとか、弁解の余地がある発言が多いので少々。



まずダイナミックな勘違いがひとつある。


それは、台風が直撃しているときに海に入るわけではない、ということ。


そんなことをすれば僕なんて2秒で流木と化す。


台風直撃では船も出てないから、助けを呼ぶことも不可能だ。




ではなくて、遠い南の海上で発生した台風によってもたらされるウネリが沿岸に届いたときに、海に入る。


すると、風も無くて海面は穏やかで、ウネリだけがモリモリ入ってくるという奇跡的な状況が待っているわけだ。


まあ僕の場合は台風ウネリのデカい波なんてまだまだ乗れないので、岸で将棋しながら見学してることがほとんどなんだけど。




もちろん急に台風が速度を上げて近づいてきたりすることもあるだろうから、予報を頭に叩き込んでおく必要はあるけれど、少なくともサーファーは、台風が「来る」ことを望んでいないし、上陸なんてもっての他で。




人並み以上には気象に気を配る人種なので、台風上陸に対する備えも人並み以上に行っている。 と信じている。



それでも台風シーズンに一部のサーファーが流されて亡くなったりするから、サーファーは不謹慎だという台風フィルターはなかなか取り除くことはできない。



今年は特に被害が甚大で、批判は強まりそう。





大半の海難事故は、台風うんぬん以前の問題なんだけどね。 酔っ払いとか飛び込みとか。




海を見て、入るか入らないか迷ったら、岸で将棋する勇気を。




おわり

クルマと自我肥大 

2016.08.14

僕は公私ともに車をよく使うけれど、特にこの時期は、ジャイアンみたいな車、いや、人が多くて実に興味深い。



混雑によるイライラも一つの原因だとは思うけど、盆時期の混雑なんてのは江戸時代くらいから分かりきっている事象であり、いちいち憂いでいられるほど僕らはヒマではない。



しかし、夏の高速道路はマナー違反者(道路交通法うんぬん以前に)の巣窟であり、低速車にビタっとついて煽るのは当たり前、最悪の場合は後ろからハイビームをお見舞いする始末。(お前のパンチをお見舞いしてくれよ!)



狭い車道では、スレ違い一つでとりあえず相手の運転席を睨み付ける。

その睨みがときに亀田兄弟ばりで、モノマネをしているんじゃないかと勘違いしてしまうほどに。

どちらが譲っても、ほんの数秒の差しかなかろうに。



大抵そういう車はいわゆる高級車だったりデカいSUVだったりするわけだけど、それがその車種のイメージとして付いてまわるという理不尽な事実を、クルマの生産者はどう思っているのか。



ベンツやアウディを手掛けるヤナセが、「クルマは作らない、クルマのある人生を作っている」という新しいスローガンを高らかに謳っているが、実に皮肉なことに、ネガティブな意味で全く的を得たフレーズである。


結果的に、上記のように自我が肥大化しきった人間の、人生の一端を担っているのだから。





しかし理解不能なのは、彼らの自我が肥大化する後ろ盾は一体なんなのかということである。



一体なんなのかと書いておいて嫌な性格だと思わないでほしいけど、たぶんなんの後ろ盾もない。



付いているキ○タマの大きさも、僕ら?と同じくらいなもんで。知らんけど。





酒は飲んでも飲まれるなというが、車は乗っても乗られるなと、僕は言いたいのだ。


僕は貧乏性なので、いわゆる高級車に乗っていながらマナーの良いドライバーを目にすると、惚れてしまいそうになる瞬間がある。





まったく、公道や駐車場で横柄な態度を取って、良いことがあった人は今まで一人でもいたんでしょうか。


むしろコミュニケーション能力の低さを露呈しているだけだということに、彼らは気付かない。


気付かず、彼らは僕の可愛いファミリーカーを煽り続けるだろう。


そんなことしてるうちに、SMAP解散しちゃうよ。





勝手に伸びる小中学生の頃の身長のように、自我の肥大化は、自分では気づきにくい。


僕がドヤ顔で前方の軽自動車との距離を詰めていたら、誰か注意してね。


その顔で?と。



おわり

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プロフィール

おちょこの裏

Author:おちょこの裏
世界最高の町、群馬県月夜町(現 みなかみ町)に生まれ、生後1週間で東京都板橋区へやってきたかと思いきや、サッカー 登山 素潜り サーフィン 写真 自転車 ミスチル 読書 ビール が好きに。



■海外渡航歴

オーストラリア・インド・タイ・カンボジア・ベトナム・ラオス・韓国・台湾



■国内は自転車で周ってます。

関東地方一周・東京→京都・別府→福岡・八丈島一周・東京→仙台・東京横断など



■登山歴

富士山・比叡山・筑波山・八丈富士・谷川岳・瑞牆山・雁ヶ腹摺山・三国山(群馬県)・越前岳・大山・塔ノ岳・荒船山・上州武尊山・蓼科山・雄山・大汝山・燕岳・大峰山・吾妻耶山・行者ケ岳・二子山・鍋割山・黒斑山・碁石ケ峰・袖平山・伊豆ヶ岳・大菩薩嶺・川苔山・編笠山・権現岳・掃部ヶ岳・道峰山(ソウル)・高水三山・生藤山・黒檜山・日光白根山・甲斐駒ケ岳・仙丈ヶ岳・羊蹄山・一ノ倉岳・茂倉岳・奈良倉山・蝶ヶ岳・白馬岳・両神山・宝登山・雲取山・檜洞丸・妙義山・入笠山・武奈ケ岳・荒島岳・八経ケ岳・西穂高岳・伊吹山・叔母子岳・剱岳・丹沢山・岩湧山・穂高岳・涸沢・弓折岳・双六岳・槍ヶ岳・樅沢岳・三俣蓮華岳・赤岳・横岳・白山・涸沢岳・小蓮華岳・針ノ木岳・蓮華岳
・木曽駒ケ岳


現在は東京にて営業を。

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